Day3:手話の講師になる前となった後の世界

こんにちは、白倉恵美です。

「手話講師になって、何が変わりましたか?」

もしそう聞かれたら、私はこう答えます。
「見える景色がまったく変わりました」と。

以前の私は、いつも“自信のなさ”と戦っていました。
ろう者の方と手話で会話をしても、
「これで通じてるのかな…」「変な言い方してないかな…」と心配ばかりで、
自分の手話に価値があるなんて、とても思えなかったのです。

でも講師として教えるようになって、
生徒さんから
「先生の手話は楽しくて、私もそんな手話ができるようになりたいです。」
そう言われたとき、
初めて、自分の手話が“誰かの役に立っている”と感じることができました。

そして人に伝える(アウトプットする)ことで、自分の学びも深まることを実感しています。

そしてその“自信の芽”を最初に育ててくれたのが、

「検定合格を目指す」という明確な目標でした。

目標があると、迷わない。
学びがブレなくなるんです。

それがあったから今では、講師という立場を通して、
学びの先にある“伝える喜び”を
一緒に味わうことができる日々に感謝しています。

次回は、どうやってその目標(=検定)に向かって一歩踏み出せたのか、
私が選んだ“行動の選択”についてお話ししますね。

今日もあなたの努力が、確かな一歩になりますように
心から応援しています。


Emi Syuwa Space代表:白倉恵美

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この記事を書いた人

こんにちは。手話講師及び
HLI(手話の島)認定講師、白倉恵美と申します。

今日は、私がなぜ手話に魅了され、そして、手話の世界に人生を捧げることになったのか――
その「点と点がつながる物語」を、少しだけお話しさせてください。


2011年、私は運命的な出会いをしました。
それは、東日本大震災の年、偶然引っ越した家のすぐ目の前に住んでいた、ろう者のご夫婦との出会いです。
耳が聞こえないという違いを超え、彼らとの交流は本当に楽しく、
自然なかたちで「日本手話」に興味を持ち、地元の手話講座に通い始めました。
以来10年以上、休むことなく学び続けました。
当時は、この出会いが私の人生を大きく変えることになるとは、思ってもいませんでした。


学び続ける中で、たくさんの壁にもぶつかりました。
どれだけ講義を受けても、肝心のろう者特有の表現「手話語彙」が身につかない。
教科書も辞書も、答えを教えてはくれない。
さらに、2019年、勤め先でパワハラを受け、心身ともに疲弊していきました。
そんな中で、唯一の支えになったのが、手話を通じて出会った仲間たちとの絆でした。
もっと手話を深く学びたい――その思いを強くしていたとき、私は藤乃先生と出会います。
手話ホームステイ、そしてHLI(手話の島)。
一度はあきらめかけた「手話講師になる」という夢を、もう一度、信じてみよう。
そう思えたのは、藤乃先生からの温かい励ましのおかげでした。


あのとき、あきらめていたら――
きっと私は今も、パワハラの中、苦しんでいたでしょう。
最悪の環境から抜け出し、
HLI(旧DLA)第6期生として復帰し、
今では認定講師・認定審査員として、手話教育の最前線に立っています。
命には限りがある。
だからこそ、自分の心に正直に生きなければならない。
私が伝えたいのは、ただ一つ。
手話は、ただの言語ではありません。
人と人をつなぐ「希望」です。

最後に

手話は、ただの言葉ではありません。
人と人をつなぐ力があります。
もし、あなたが今、少しでも「何かを変えたい」と思っているなら。
小さな一歩を、踏み出してみてください。
後から振り返った時、その一歩が大きな意味を持つことに気づくはずです。

あなたも、きっと、変われます。
ほんの少しの勇気と、ほんの少しの好奇心があれば、未来は動き出します。

「人生は一度きり」
「時間は有限」です。
迷う時間はありません。
心の声に、正直になってください。


そして、あなた自身の人生は誰のものでもありません。
自分の為に”今”歩き出してください。

あなたの挑戦が周りを幸せにすることに気付いてください。

私は、挑戦するあなたを心から応援します。

白倉恵美

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